未来を変える方法

今と過去と未来がある。

脳内ではその区別があいまいだという。

過去の事を思い出して感情が動くのも、

今の出来事で感情が動くのも「身体」は違いが分からないからだ。

 

常に今に対して反応しているのだ。

過去を思い出したのも未来を想像したのも「今」だから。

しかし過去も未来も現実ではなく目の前にある「今」だけが「現実」なのだ。

 

過去が現実に起因していることは当たり前に分かるだろう。

それでは未来を変えるとはどういうことかというと、なりえる2つ以上の可能性があった場合に「自分が快と感じる」方向にコントロールする事であろう。

  

「思考」=「過去」であり。

「感覚」=「現実」である。

 

「感覚」=「現実」となるのは私たちが「現実」だと感じているのは物理的な事象ではなく視覚や感覚器官を通した「感覚」でしかないからだ。

だから、感じたことが「身体」にとっては「現実」なのだ。

余談になるが、感覚による現実と物理現象による現実に違和感を感じると物理現象の測定によって違和感の原因を突き止めようとする傾向があるようだ。そういった思いが自然現象を解き明かそうとする人の潜在的な動機になっているように思う。

 

「考えるな、感じろ」という言葉がある。

 武道においては感覚を研ぎ澄ませるという意味だと思われるが、

この言葉にはもっと深い意味があるからこそ名言になっているのだろう。

 

では感じろとは何を感じることだろうか。

そう考える事は「思考」だといえるが思考は「感覚に目を向ける」という意味では間接的に未来を変える事ができるといえる。

 

何を感じるかと言えば「十分満たされている」という事だろう。

十分満たされていると感じることは思い残す事が無い、未練が無いということだ。

思い残す事がなければその事に囚われる事が無くなる。という事はそのことについて「思考」しなくて済むということだ。

 

「感じる」こと自体が「思考」を止め、本来の能力を引き出す役割があるが、

「十分満たされていると感じる」ことは「無駄な思考の必要性」自体を無くす役割がある。 

 

「十分満たされている」という事は「しなければならない」という義務(不快)から解放される事でもある。

~しなくてもいいということだ。

これは言い換えると「そのままでいい」ということだ。

自分を許し、自己肯定感を持つという意味があるのだ。

 

一見矛盾しているようだが、

「今、欠けている」から努力(不快)しなければならないと感じる「感覚」ではなく、すでに「今、十分満たされている」という安心(快)の「感覚」によって感情が変わり結果的に未来が良くなるのだ。

 

ここで注意するべき事は「努力しなければならない」(不快)と思うことと「手に入れたいからやる」(快)というのは全く逆の感情を伴っているという事である。

 

そして感情(快・不快)は伝染し本人だけではなく周りの未来にも影響していくのだ。