自分の中の自分

①自分の中に自分を貶める自分がいるとしたら。

 

なぜか上手くいかないことがある。

大事なところで失敗する。

肝心なところを蔑ろにする。

 

まるでわざと失敗しているかのように。

 

そんな疑問を自分に感じた人もいるだろう。

そんな疑問を不思議に思う人もいるだろう。

 

②人は一人で人になるわけではない。環境の中で人格は形成される。

狼に育てられた人間は狼の心になる。これは確実と言える。

 

③人には自分では気づいていない無意識という領域がある。 

これが、「なぜか」という部分に当たる。

 

①の原因が②、③によって起きている事がわかる。

つまり、

誰かにそう扱われたからである。

 

顔に殴って下さいと書いてあるのと同じ状態。

それが今の自分なんだ。

自分の中の自分に負けたく無い。

 

要らない思考のコントロール方法

集中したいのに雑念が浮かぶことが良くある。要らない考えを消す方法で有効的な

考え方が分かってきたので記録しておきたいと思う。

脳の意識の働きというのは不思議なもので、ないと思うとあるんじゃないかと考える性質があるようだ。

 

雑念を消そうと思っても消えないどころか逆に増えていくという仕組みになっている

という事なのだ。それは消そうと思った時点で消す対象が現れるということと似ている。

 

意識で消そう消そうと思うと・・・もう一人の無意識が「何を」と思うわけだ。そしてあれこれとその何か(主語)を探そうとする。

だから消えない。

 

「ないと思うとあるんじゃないかと考える性質」

があるということはその逆に

「あると思うとないんじゃないかと考える性質」

があると言う事だ。

 

この仕組み利用してコントロールする。

それには消そうという対象がはじめから「ある」と考えるといいようだ。自分の中には不必要な事を考える「仕組みがある」というように前提する。

すると図星を突かれたようにその仕組みが大人しくなる。

 

ただし、その雑念はただ「仕組みがある」と考えるだけで具体的に雑念の内容まで考えないようにしなければならない。

 

それにはその仕組みをただ「監視」するのだ。余計な事を考える仕組みが働きだすのかどうかを。こつは働き出そうとしたときに止めようとしないことだ。ただ要らないことしているという見方をするのだ。

 

「要らない事を考えようとするから監視しよう」それが雑念を消す方法ではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

唯一納得できる答え

生きてると嫌な事に沢山出会う。

理不尽な嫌がらせ。虐め。

世の中はなんでそんなにも残酷で身勝手なんだろうと不思議に思った。

本当はもっとただ平穏に争いなく皆が生きる事ができるのではと思った。

でもそんな考えは甘いと思い知らされた。

結局、根本的な目的には逆らえないんだという事。

命あるものが生きる目的。

生き残る事。

 

命は常に闘いに晒されている。

今まで命を繋いでこれたのはなぜか。

なぜ生きているのか。

それは、自然淘汰を勝ち残ったから。

 

だから、勝つということに関して命がある限り、逆らえない。

綺麗事は命の保障がされているから言えるんだということ。

 

生きるという事が殺し合いだという事を受容れる事が

理不尽な世の中に納得できる唯一の答えだと知った。

 

 

 

快、不快と認知の歪み

もし仮に快と不快が逆転しているとしたら。

快であるべき行動をしても快と感じないはず

 

快と不快を正しい認識に戻すには快であるべき行動を無理して嫌々行う必要がある。

無理して行った結果、それが自分にとって有益だと気づいたときに逆転現象から抜け出す事できるのだろう。

 

自分を変えるということは不快だと思っていたことが快だったと気づき、それを行う習慣が身につくということなのだろう。